寝ても覚めても学校のこと。

学校経営に関するニュースを採り上げ、私見(コメント)を付してお届けしております。

体罰問題に学ぶ、学校経営の問題点

1週間が過ぎ去る早さに改めて驚いている、吉田がお送りいたします。


ここ数日、体罰のニュースが流れ続けています。
体罰が原因とみられる高校生の自殺…
あまりにショックで、最初にこのニュースをテレビで見たときに、声になりませんでした。
体罰の是非、あるべき教師像など、いろんな着眼点でこの惨事を語ることができるのでしょうが、
このブログはあくまで学校経営にスポットを当てていますので、
学校経営の2つの観点からコメントさせていただきたいと思います。


○部活動のあり方

学校特色化のはしりが部活動による特色化ではないでしょうか。
甲子園、国立、花園。
最近はダンスや書道など、様々な分野で部活動の成果を競い、そのことが
その学校の人気を博する要因になっています。

一方で、部活動を学校でどのように位置づけるかというのは難しい問題をはらんでいます。
その代表例が「勤務時間のカウント」です。
教員が顧問を務めることが原則である以上、授業を終えてから部活動指導を行う教員各位には
かなり長時間の時間的拘束がかかります。
教員の長時間労働が問題視されている原因の一つが、この部活動にあるように思えてなりません。

そして専門性。
本来教員というのは授業力がその根源にあるものであるところ、仮にその教員の得手不得手に関わらず、
一定程度の部活動への関与が必要になることがあります。
その逆に、授業は2の次と言わんばかりに、課外活動であるところの
部活動こそが活動の主体となる教員も少なくないものと考えられます。

学校として部活動をどう考えるか。
教育的観点から正しく生徒指導できる人格が、部活動において求められるのは言うまでもありません。


○組織の在り方

今回の事件では、惨状を目撃していながらも、
「実績のある指導者に対してモノが言えなかった」
との関係者のコメントが明らかになっています。

学校では、
 教師が『特定の領域(例えば「クラス」「部」「進路指導」など)』について、
 他の介入や指示を許さない風土がある
というケースがよく見られるように思います。

仮にこのようなことがある場合、それは
 組織の上位機関が下位機関に対して指揮をとれなくなる
ことを意味しており、これが常態化すれば組織目的の達成が図れなくなります。

組織的な動き、という言葉には多くの意味が含まれますが、学校がひとつの組織であるならば
「共通目的」を持ち、その目的・目標のために「意思疎通(コミュニケーション)」が成立している
ことが必須です。
クラス担任であろうが、その担任のやりたいようにできる、のではなく、
学校として守るべきことを守る、あるいは
学校としての使命をしっかりと果たす、といったことが求められるのは言うまでもありません。

担任しかり。部活動しかり。働き方しかり。
そのような組織の在り方を見直す契機になればと思った次第です。


末筆ながら、自ら命を絶たれた高校生に、心からの哀悼の意を表します。本当に残念でなりません。